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第四話 契約結婚の真実

last update publish date: 2026-07-29 18:00:25

 「……レオン様」

 返事はない。

 銀狼公爵レオン・ヴァルハルトは静かに意識を失っていた。

 信じられなかった。ほんの少し前まで氷みたいに冷たい顔で、人を寄せつけない空気を纏っていた男。

 それが今は驚くほど無防備だった。

「……重い……」

 思わず漏れる。

 身長差がある。当然だ。

 鍛えられた体、支えるだけでも精一杯。

「誰か!」

 声を上げる。

 すぐに扉が勢いよく開いた。

 執事長グレイと医師、使用人たちが入ってきた。

 そして、銀狼侯爵の様子を見ると全員の顔が強張る。

「閣下!」

「運びます!」

 医師たちが駆け寄る。

 ベッドへ移されるレオン。

 乱れた銀髪。

 閉じられた瞳。

 苦しそうな呼吸。

 さっきまで見えていた黒い侵食は、ほんの少しだけ薄くなっていた。

 それを見た瞬間、医師の一人が息を呑んだ。

「……まさか」

 グレイも気づいた。

 明らかに空気が変わる。

 全員何かを知っている。

 自分だけが知らない。

 その状況が無性に腹立たしかった。

「説明してください」

 静かな声だった。

 けれど、自分でも分かる。怒っている。

「……リリア様」

「説明を」

 グレイが沈黙する。

 迷っている。隠すか、話すか。

 数秒、重い時間。

 やがて、彼は静かに頭を下げた。

「……こちらへ」

 ◇

 案内されたのは小さな応接室だった。

 温かい茶が用意される。

 けれど、飲む気にはなれない。

「話してください」

 正面には執事長グレイ。

 白髪混じりの髪に整った礼服。

 完璧な執事。

 けれど今はどこか疲れて見えた。

「まず……お詫びを」

 頭を下げる。

「私どもは、貴女様へ大切なことを隠しておりました」

「レオン様のことですね」

「……はい」

 静かにグレイが言う。

「閣下は三年前、黒霧領域の討伐に赴かれました」

 黒霧領域。

 北方、王国で最も危険な場所。

 魔物が現れる呪われた土地。子供でも知っている。

「その戦いで閣下は呪いを受けました」

「……呪い」

「進行性です」

 胸が冷える、嫌な予感。

 言葉を続けるグレイ。

「初期は発熱と痛み」

「……」

「やがて侵食が始まる」

 黒い痣……。

「身体能力の暴走」

「……」

「感情の欠落」

 初対面を思い出す。

 氷みたいな男。人形みたいだった。

 まるで、感情を置いてきたみたいな。

「最終的には」

 グレイが言葉を止める。

 苦しそうに。

 静かに。

「理性を失います」

 息が止まった。

 理性を……失う?

 つまり――

「……魔物になるんですか」

 沈黙。

 それが答えだった。

 頭が真っ白になる。

 ありえない。英雄、国を守った人。

 そんな……。

「現在、進行はかなり進んでおります」

「……どのくらい」

「医師の見立てでは」

 静かな声。

 重い。

 嫌になるくらい、重い。

「あと二年」

 言葉が落ちた。静かに残酷に。

 二年……たった二年。

「……嘘」

「申し訳ありません」

 違う。謝ってほしいんじゃない。

 そうじゃない。

「なんで」

 喉が苦しい。

「なんで治療を」

「試しました」

 即答だった。

「王国中の治癒術師、薬師、神官、国外の医師、できることは全て」

 全部、全部やった。その上で治らない。

「……じゃあ」

 声が掠れる。

 嫌な予感。

 最初からずっと胸の奥にあった。

 嫌な予感。

「私との結婚は」

 沈黙。

 グレイが目を閉じる。

 そして、静かに頷いた。

「貴女様の力を借りるためです」

 空気が止まった。

 分かっていた。

 少し……分かっていた。

 でも、実際に言われると苦しかった。

「……そう」

 小さく呟く。

 予想通り利用された。

 それだけ。

「王家が古文書を調査し、判明したのです」

 グレイの声が遠く感じる。

「浄化の力を持つ者」

「月華の星印」

「そして」

 少しの沈黙。

 そして、ゆっくり告げられる。

「深い縁を結ぶことで、浄化は最大限の力を発揮すると」

 結婚。

 だから王命。

 最初から全部決まっていた。

「……最低」

 思わず漏れた。

「リリア様」

「最低です」

 怒り。

 悲しい。

 悔しい。

 惨め。

 全部が混ざる。

「私は」

 声が震える。

「道具じゃありません」

 静かになる。

 誰も何も言わない。

 当然だ。

 そうだ、利用された。

 最初から全部。

「……帰ります」

 立ち上がる。

 帰る。もうこんな場所にいたくない。

 扉へ向かうその時。

「閣下は」

 グレイが言った。

 足が止まる。

「最後まで反対しておられました」

 振り返る。

「……え」

「貴女様を巻き込むなと」

 静か。

 部屋が静かだった。

「他の方法を探せと」

「……」

「自分は構わないと」

 言葉が出ない。

 グレイが続ける。

「ですが王命でした」

「……」

「閣下は最後まで」

 静かに、苦しそうに言う。

「怒っておられました」

 誰のために? 考えるまでもない。

 頭がぐちゃぐちゃになる。

 利用された。それは変わらない。

 でも、レオンは知っていた。

 嫌だった。巻き込みたくなかった。

 だから、最初に言った。

『君を愛するつもりはない』

『必要以上に関わるつもりもない』

 傷つけるためじゃない。

 たぶん、違う。

 最初から距離を作ろうとしていた。

「……馬鹿」

 思わず呟く。

 どうして一人で抱え込む。

 二年……死ぬまで。

 誰にも頼らず、誰にも言わず。

 そんなの――

「……馬鹿すぎる」

 怒りが消えない。

 利用された、許せない。

 でも、それ以上に胸の奥が苦しい。

 どうしてこんな気持ちになる。

 まだ会ったばかりなのに。

 その時、廊下から足音が近づいてくる。

 静かだけど重い。

 振り返る。扉の向こうに誰かがいる。

 誰かは分かった。理由なんてない。

 でも、分かった。

 銀狼公爵、レオン・ヴァルハルト。

 たった今目を覚ましたのだと。

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